来てたのかー!
2006年 10月 19日
藤村・嬉野Dによる『本日の日記』を毎日チェックしているのですが、
読み進めていますと・・・
>2006年10月17日火曜日
>嬉野であります。
(中略)
>ぼくと藤村先生は一旦中抜けして札幌に戻ることになったんですが、
>ぼくだけは札幌に戻らないで青森空港に直行したんです。
>どうしてかと言いますとね、青森空港でうちの奥さんと合流して、
>二泊三日でしたが青森バイク旅に出かけたわけでありますよ。
∑( ̄ω ̄)なにィ!
なんと…青森県に来てたのですね。
>カミさんの運転するバイクの後で、
>これまでもそんな風景をたくさん見てきました。
>それはどれも、けして有名な観光地などではないのです。
>ただただ普通にさりげなく古びてしまった町なのです。
>「あぁ、こんな町が今でもあるんだ」
>そう思える町に、移動中、不意に出くわすことがあるのです。
>そんな町は有名な観光地ではないから「行ってみたい」目的地には、
>なかなか挙がらないのです。
>でも、観光地ではなく、普通の生活を営みながら
>普通に古びてしまった町だからこそ落ち着いた生活感が漂っていて、
>ぼくは、ほっとするのです。
>そういうほっとする町に不意に出くわす度に、
>ぼくはワクワクするのです。
>ぼくが感じる旅の醍醐味は、どうやらそんな瞬間にあるらしいのですよ。
こういう気持ちわかる気がするなー。
僕も観光地に行くよりもそこの地元のスーパーとかに行く方が
なんだかふんわりとしたいい気分になります。
なんというか、本来であれば決して自分が行く機会がないお店。
そこで生活してないのだから当然です。
そんな『行くことのないお店』で、買い物しているひととすれ違う。
普段決してすれ違うことのない人々。そして世界。
決して交わるチャンスがないその何でもないお互いの平凡な世界が
その瞬間に交差している。
それがなんだかたまらなく嬉しいのです。
だから外国で地元のひとが行くようなショッピングセンターや
コンビニ、小さな食料店があるとつい入ってしまうんだよなー。
話がそれました。
そんな思いを抱きつつ嬉野Dの日記を読み進めます。
>今回、黒石という町を通りましてね。
∑(゚Д゚;) く、くろいし!?え!?
>黒石は弘前の近くにある町で、「こみせ」という江戸時代から続く
>木造のアーケードで有名ですから立派な観光地なのですが、
>それでも観光客でごった返すこともない、
>静かでひっそりとしたたたずまいを見せる町でした。
∑( ̄□ ̄;)やっぱりー!!
黒石ったら超・地元じゃないですか!
従弟たちが住んでますよ、従弟たちが!
>ぼくら夫婦は「こみせ」を歩いた後、
>長崎屋さんという町中にある食堂でラーメンを食べました。
>長崎屋さんの隣は地元のデパートのようでしたが、
>中を覗くとガラン堂で、既に営業はしていないようでした。
>そんな古いつくりの店がまだ営業してる。
>ぼくはなんだか嬉しくなりました。
∑(゚3゚;)古いデパート?大黒デパートかよー!!
僕も随分と前、そうですねもう何年も前。
僕が高校生か大学生の頃、従弟に連れられて行ったことがあります。
こう言っては随分と失礼なんですが、
当時ですら、よく言えば昔の風情のある、
悪く言えば時代から取り残されたデパートで、
フロアも営業していないスペースがあったり、
営業していても決して若いひとは買い物しに来ないだろうな
というような昔風の服屋さんだったりしました。
僕と従弟はそのデパートのゲームコーナーに行って
一緒にゲームして遊んだ記憶があります。
餓狼伝説の主人公テリー・ボガードのコスプレをしたひと、
しかもそれが女の子というのを発見して、
「田舎なのにオタクっているもんだなー(笑)」
と嬉しく(?)なったのも覚えています。
なんとまあ、そんな地元に来てたなんでびっくりだ。
きっとすれ違ってもわかんないだろうな。
まさかこんなところに嬉野Dが来てるなんて思わないもの。
>そんなことを思う時はたいてい午後遅くて、
>斜めに傾きだした西日が赤い光線を国道沿いに
>建つ建物のガラス窓に反射させたりしているのです。
>暮れ始めた町の中、家路を急ぐ中学生たちが笑いながら歩いていたりするのです。
>こころなしか皆素朴そうな横顔をしているように見えるのです。
>ぼくが、高校生だった30年前と何も変わっていないような気がしてくるのです。
>そんな素朴に古びている町が、日本にはまだとてもたくさんあるはずなのです。
いいこと言うなあ。
その学生たちの中に僕の従妹もいたかもしれませんね(笑)。
こういうお話を聞くと自分の地元に誇りすら覚えますな。
都会では決して存在しない素朴な場所がたくさんあります。
そんな北の街、津軽が僕は好きです。