思い出の名機たち(前編)
2006年 04月 19日
ここに年表っぽくご紹介しましょう。
今日の日記はちょっと地味。
●型番及び名称不肖(1980頃~1983頃)
DiOにとって初めて自転車。
仮面ライダーのキャラクター型で、
カゴのあたりに仮面ライダーの顔のようなものがついていた。
ちなみに仮面ライダーはスカイライダー。
配備当初は補助輪ユニットを装着。
小学2年生初期頃、補助輪ユニット離脱。
後述の新機体導入時に母の手により廃棄。
●型番及び名称不肖(1984頃~1989頃)
変速機能装備型自転車。
男子であれば誰しもが一度はあこがれる変速ギア装備型。
ただし5速しかなく、かなり安価な型と思われる。
友人Jは8速(だったかな)付きで後ろにもランプが着いていたため
DiOはとてもうらやましかった。
後述の新機体導入時に母の手により廃棄。
●MTR-01 『 モモタロウ号 』(1991~2003頃)
白色のママチャリタイプ機。
『モモタロウ号』の名称はその頃好きだった
「ザ・モモタロウ」(週間少年ジャンプ連載)より命名。
DiOが高校時代の主力機。
一度盗難の憂き目に遭うが無事帰還。
DiOが大学入学とともに北海道へ移住後も
帰省時には弘前での“足”として活躍した。
近年まで実家の格納庫(物置ともいう)に眠っていたが
老朽化もあり、いつのまにか母の手によって廃棄された。
●TGR-01 『 (初代)津軽号 』(後にプロトタイプ1号機とも呼ばれる)
黒色のママチャリ型。(1993)
DiOが浪人(1年目)を札幌で過ごした時期に導入。
しかし、半年ほどで札幌スガイより盗難。
都会の恐ろしさを知った。
その後の行方は不明。
●TGR-02 『 二代目 津軽号 』(後にプロトタイプ2号機とも呼ばれる)
(1993~不明)
1号機が盗難の憂き目に遭ったため、
放置自転車を改修して誕生した。
原型はママチャリ型だが、ハンドル交換等の改修により
マウンテン型に近い形状に。
だが、すぐに冬に突入したためその活躍期間は短かった。
(北海道の冬は早く、そして長い)
浪人(1年目)を終了し北海道を去るとともに
寮母へカギを渡し、次の世代へ託した。
その寮へ入ってきた次なる世代が使用したと思われる。
その後の消息は不明。
●TGR-01S 『 (新)津軽号 初号機 』(1995~)
赤を基調とした細身のマウンテンバイク型。変速機能保有。
大学入学と同時に札幌市豊平のSATYで購入。
(DiOのじいちゃん出資)
DiOが最も苦楽をともにした愛機。
最初期は『瑠璃姫号』と呼ばれたこともある。
ちなみに瑠璃姫は「なんて素敵にジャパネスク」(少女マンガ)の影響。
大学最初期はDiOはかなり遠くにアパートがあったため、
通学へ随分と長距離を走行した。
また、どんな遠くへも自転車を使用したため、
その総走行距離は凄まじいものがあると推測される。
遠距離ゲーセンの遠征の他、
札幌―岩見沢、札幌―千歳などの長距離サイクリングもこなし、
週に1、2度の家庭教師のバイト先(往復10数km)にも活躍した。
更に冬季間の走行もかなりこなした。
その過酷な使用がたたり、
車輪がゆがんでしまい両輪を一度交換している。
後述の弐号機登場とともに現役を引退となるが、
今でもDiO家の格納庫(自転車置き場ともいう)に眠る。
様々なカスタム、チューンナップが施されており、
初期~中期はスピードメーターも装備。
大学時代の友人からは『ジムカスタム』とも呼ばれる。
余談だが、我が妹の愛機は尊敬と畏怖をこめて『キュベレイ』と呼ばれた。
(例 友人H:「今日キュベレイないけどE様(妹の名前)いない?
じゃあちょっとそっち遊びに行っていい?いい?)
さらに余談だが、友人Hの機体は『旧ザク』と呼ばれた。
「ザクとは違うのだよ!ザクとは!」(逆方向に)
現在は、奥さんが使用するとの意思を示しているため、
次期パイロットは奥さんが候補。
しかし長年の酷使と老朽化のため
チェーン・ブレーキ等の補修なしには乗れない状態。
一部部品は後述の弐号機改修に使用された。
長くなってきたので明日につづく。