野田村にて
2011年 07月 21日
興味本位で行ってきたわけでは決してありませんので、
写真も休憩時間に撮った数枚程度のレポートになります。
本当はあまり詳しくブログに載せないつもりだったのですが、
僕が被災地で生で受けた感覚が伝われば、と思い
書いてみることにしました。
クルマで片道およそ3時間。
村へ近づくにつれ目に飛び込んでくる瓦礫の山。
やはり、心にズシンと来るものがあります。
震災の日からおよそ4ヶ月。
復興はかなり進んでいるのか、村の中はずいぶんときれい。
言われなければ、津波の被害があったということに
気づかないひともいるかもしれないくらいに。
ただ、見渡す限りの原野(?)のように開けた場所が
本当は町並みが広がっていた、ということを聞くと
「え?本当に!?」
と、只々驚くしかできません。
役場前のようす。
震災直後の映像を帰ってから検索してみたんですが、
あまりの違いに驚くばかり。
震災直後はそんなにひどい状態だったのが、
でも、今は何事もなかったくらいにきれいに。
(もちろん場所によっては様々な撤去作業はいまだ行われてはいます)
津波の恐ろしさを痛感するとともに、
復興の力強さも感じます。
自然の力はすごい。
そして、人間の力もすごい。
確かに気をつけて観察すると
建物部分には爪あとが残っています。
建物のかたちは残っていても、それは単に倒壊を免れただけ。
周りにはいろいろなものがあったはずなのに。
体育館には救援物資がぎっしり。
床がゆがんでみえるのは気のせいではありません。
多くの救援物資を置いたため、その重みで変形してしまったのです。
仕事をしていたときに、なぜか救援物資の近くにいたクワガタ(メス)。
君もあの日を生き延びたんだなー。
というわけで、職務に自然と力が入ります。
短い期間だが、少しでもお役に立って帰らねば。
今は7月。
暑い。
エアコンなんか無い環境でがんばるわけですから、
暑さ対策はしっかりしないとなッ。
よし、完璧だ。
そんな感じで仕事をしていると、
青年:「そのうちわは・・・ッ!」
僕:「Σ( ´-`)!」
ある青年が声をかけてきました。
僕:「( ´-`)・・・・このうちわの意味がおわかりとお見受けしますが。」
青年:「・・・わかりますとも(笑)。」
そんな感じで意気投合。
説明しよう!
このうちわに書かれている“HTT”とは、
Houkago Tea Timeの頭文字。
そう、ローソンでゲットしたあの『けいおん!』のうちわなのだ。
彼は僕と同族のようで、いろいろ話をしました。
青年:「ほうほう、ダライアス外伝の話がわかるなんて!」
青年:「震災前はリナックスを使ってうんぬん」
青年:「いやー、まさかこんな話ができるなんて!」
わかる、わかるぞ。
僕も小さな町役場出身だからわかる。
こういう小さな町村の環境だとそんな話できるひとっていないんだよな。
わかってくれるひとっていないんだよな。
彼は、震災があった日のことも話してくれました。
何とか高台の神社まで非難したこと。
そしたら津波が襲ってきたこと。
水が引いたあと、自分の住んでいた家の2階が
神社の下に流れ着いていたこと。
それはそれは生々しい体験談でした。
青年:「でも、PCと外付けHDDは無事だったんです。」
家の2階部分は奇跡的に水平をほぼ保った状態で流されており、
2階の自分の部屋に入ってみたら、机の上にあったPCは
倒れもせず鎮座していたそうです。
僕:「・・・それは、よかった・・・!!」
青年:「ええ(笑)。」
僕らにとってPCの中のデータは何より大切。
いろいろな大事なデータは消失を免れた。
これを不幸中の幸いといわずして何と言おう。
しかし、大事なコレクションたちはほとんど流され、
仮設住宅には住めたものの、まだネットはつながっていないのです。
自分と同じ属性だからこそ、彼の苦労が理解できます。
青年:「もう禁断症状の期間は過ぎました(笑)。
実は無事だった漫画もあったんですが、処分しちゃったんですよね。
そのときはもういいや、って思ったんです。
今はとっておけばよかったかなって少し後悔してますけど。」
その後もいろんな話をしました。
お互いの趣味の話とかいろいろ。
そして、弘前へ戻る時間になったとき、彼は言いました。
しんみりと。
でも、笑顔で。
青年:「帰られるんですね・・・残念です。お名残惜しいです。
ヲタクな話を10年分できました(笑)。」
なんということは無い話が多かったと思うんですが、
震災うんぬん関係なしに、自分の趣味の話を
できるひとがあまりいないであろう彼は、
随分と充実した時間をすごしてくれたようです。
たった3日ほどの滞在で、自分がたいしたことができたとは思いませんが、
彼の心のストレスを少しでも発散させられて癒せたのかもしれない、
と思うと、こんな僕でも行ったかいがあったかなぁ、と感じました。
また、ほかにも、少なくても僕が接した野田村のひとたちには、
元気と明るさを感じました。
「おまえんとこ(の仮設住宅)の断熱材、アメリカ製だべ!いいやなぁ!」
みたいに何でも明るく話しているような。
きっと、僕のような人間には想像もつかない苦労をしてるだろうに、
街の様子といい、確実に復興へ力強くすすんでいるんだなぁ、
と感じました。
まだまだ大変なことは山ほどあるけれど、
またいつの日か必ず、というような
大きな希望を感じさせてくれました。
これからも微力ながら何かお役に立てればなぁ、
と思わずにいられません。
野田村に栄光あれ。
…あ、そうそう。
勤務場所の近くの食堂。
いつもお昼はここだったんですが、激ウマ。特にカレー。
このカレーを食べにまた野田村に行く価値ありますぞ。
おすすめ!
ホントにご苦労様でした。
カレーが旨そうで・・・。
良い経験をしましたな。
野田村は私も、もう一度行きたい(遊びに)と思わせるところです。いつ
か子供たちをつれて行きたいなぁ・・・片道4時間半かかるけど・・。
仮設住宅が出来て、支援物資は大分少なくなりましたねぇ。4月末だと
床が見えない状況でしたから・・・。
ブログもみましたよ。顔隠しちゃうなんて・・・て・れ・や・さ・ん・(。-_-。)
なかなか現地に行くと言うことが出来ずにいますが、募金したり
会社で募金箱作ったり、地道にやっとりますですよ。
岩手県は故郷ですからね・・・(花巻市ですが)
ヲタにはヲタにしか出来ない支援って言うものがあるんですね!
勉強になりまった!