震災の爪あと
2011年 03月 20日
でも生きてる。
それは良かった。
亡くなったひとたちがたくさんいる中で、
僕だけが喜んでいるわけにはいかないが、
やはり素直に喜ばせていただきたい。
僕の従弟は、仙台市在住。
まだ結婚してそう何年も経っていなくて、
この前子供が産まれたばかり。
地震で、自分が住むアパートは崩れなかったものの
家財道具はぐちゃぐちゃ。
買ったばかりのTVも割れてしまったそうな。
しかし、そんなことは問題じゃないのです。
その頃、奥さんが赤ちゃんを連れてちょうど実家へ帰っていたのです。
奥さんの実家は、石巻(いしのまき)。
そう、あの津波が来た石巻です。
結局その後2,3日も連絡が取れない。
思い立った従弟はクルマで石巻へ。
しかし、交通規制や道路がダメになったりで市内になかなか入れない。
その日はあきらめ、次の日に改めて出陣。
どうにかこうにか歩いて石巻の街へ入ったものの、
街は本当にひどい状態。
歩く場所は瓦礫や壊れたクルマ。
そして、いたるところに遺体。遺体。遺体。
その中を避難所をたずね歩いたそうな。
従弟の心情を察すると心が痛みます。
この瓦礫の下に自分の妻と子がいるのかもしれない。
この遺体の山の中に自分の妻と子がいるのかもしれない。
そんなことは想像したくない。
きっとそんなことを思っていたのではないでしょうか。
結局、いくつ目かの避難所で奥さんと赤ちゃん、そしてその家族を見つけました。
嬉しかっただろうなぁ。
感動しただろうなぁ。
よかったなぁ。
お前の苦労は報われたなぁ、従弟よ。
奥さんの実家はやはり津波をかぶり、
家は崩れなかったもの、1階の天井まで水が来てとても住める状態じゃないとのこと。
とりあえず今はいろいろと大変ながらみんなで助け合って
何とか過ごしているようです。
赤ちゃんはまだちっちゃいと思うので心配ですが、
何とかがんばってほしいと思うばかり。
弘前でも食料品などいろいろなものが不足しています。
ガソリンスタンドには見たことないような列ができています。
計画停電の話だってあります。
でも、いいじゃない。
まだまだ恵まれてる。どうにかなる。
外国では、こんな状態でも略奪が起こらない日本人に驚いているそうな。
棚から崩れた商品のほこりを払って、会計の列に並ぶ我々日本人はすごいのだ。
いろいろ暗い話題が多かった昨今だけど、
あらためて日本人であることに誇りを感じます。
さぁ、みんなでがんばりましょう。
お年寄りから赤ちゃんまでが、そのまま寝かせられている状態というの
を考えただけでも涙がでてきます。
助かった命は・・・大事にしなきゃと思います。従弟さん頑張って欲しい
ですね。
ある一家が無事だと分かっただけでも良かった。
気を揉んでも、自粛しても仕方がないものだ
とは思うけれど、それでも見舞われなかった側
としては、閉口してしまう。
これほど過酷な状況になっても、それでも日常を
生きなけりゃならない訳で、俺も出来る限りの
援助をしながら、いつも通りの日々に戻れたらと思う。
日記にもあるが、誇りを胸に、
今の、この「がんばろうNIPPON」の精神が
この先、何年、何十年、 ・・・と続くであろう
苦難の果てまでも続くことを願って。
遺体も火葬できない、とか悲しすぎます。
こちらは日常の生活が戻りつつありますが、
ほとんどからっぽのコンビニを見ると
まだまだ災害の余波は続いてるのだ、と改めて感じます。
自分にできることは何なのかしら、と思ったりしますが、
とりあえず募金だったり節電だったり、できることから、かな。